■ 文鮮明師による「蕩減」の定義

(1)史吉子女史の証言「蕩減に関する先生の御言葉」2000年8月31日

「先生はある時『蕩減』のお話をされて、『百万円の負債のある人が“私には僅か十万円しかありません”と言えば、先生の恵みで“その十万円だけで赦してやろう”と言う。それが蕩減の意味だ。』と話されました。」「皆さんは『蕩減』、『蕩減』と言いますが、正確には『蕩減復帰』と言わねばなりません。『蕩減復帰』には、『赦し』と『償い』の両面があるのです。」


(2)「蕩減の歴史的基準」1980年7月1日

「蕩減とは何であるかというと、百以下のものをもって百と同じに認めてくれることです。」


(3)「文鮮明先生御言葉撰集 第29巻」P.335

「蕩減というのは、あることに対して犠牲の条件を代わりに立てて越えていくのです。蕩減条件というのは私達には有り難い恩赦でないわけがありません。95%は神の責任であり、5%は人間の責任なのです。」


(4)御旨の道 P.158

「我々に任せられた責任が重いと思うな。我々が五パーセントの責任分担をなすためにも神は九十五パーセント以上の苦労を既になさったということを知らねばならない。」


(5)「 蕩減が行く道」1967年6月4日 旧本部教会

「蕩減復帰ということは、小さな条件を通して大きなことを蕩減する(赦す)ことです。例をあげれば、百人を赦してあげるために、一人が代身にしてサタンに打たれる場にあっても不平不満をいわず、ただ神を思慕して心には天国を抱いてその場に当たる人がいるなら、その善なる一人の人間が打たれる代価として百人の罪が蕩減される(赦される)のです。

蕩減の場(蕩減条件を立てる場)に立つ人間は、周囲が追い詰めるなかにあっても天国を慕い、神を思慕して、死ぬも天のため、生きるも天のため、生まれたのも天のため、生きるのも天のためという心を持たねばなりません。天から出発して天の過程を経て、天が終着点になるのです。

こんな場を担って越えて行くことによって百人の罪が赦されるのです。即ち、人間百人の代表として一人を立て、彼が百人の代身に打たれて百人が打たれるこを赦され、悪なる場から善の場へ帰ってゆくのが蕩減復帰だというのです。」


(6)「蕩減復帰摂理歴史」1981年2月10日

「蕩減の本当の意味は何でしょうか。問題は人間の能力です。誰であったとしても決して全人類の負債を支払うことが出来ません。従って人々に救いを与える特別な法則がなければなりません。
というのは、何らかの特別な天の配慮がなかったとしたら誰も救われることが出来ないからです。神は私達が負っている負債の総額に充当するために、その内の一定額を支払うことを求めておられます。しかし私達がその条件を満たすことにより、総額が返済されたという立場に立つのです。それは基本的な原理です。神は常に誰もが救いを受ける機会が得られるように小さな条件を設定されています。」


(7)御言葉撰集 264-269、1994.11.20

「一人で暮らす善良な寡婦が、亡くなった夫の負債を払わなければならない立場にいるとき、周りの人がすべて同情して、『大勢の人たちが願うとおりに私がしてあげればならない』と考え、負債の一部だけを返済することで全額を支払ったとみなしてくれることがあるのです。このような立場に立つとき、蕩減されたといいます。」


(8)「文鮮明先生御言選集」391-73 2002.8.15

 「復帰しようとすれば蕩減が必要です。蕩減とは何でしょうか。「蕩」という字は、とかして削って小さくするという意味です。ですから、さまざまな損害を被ることによって罪を削って小さくするのが蕩減ということです。」


(9)「文鮮明先生御言選集」16万日本女性幹部特別修練会/韓国中央修練院 1994.3.17

 「蕩減というものは何か?お金を借りて負債があるのに返済する力がないのです。いくら返済しようとしても、生涯をかけて返そうとしても返せないという場合には、債権者、お金を貸してくれた人が特別に容赦してくれ、返すべきお金の10分の1を支払ったなら返したことにしてくれる、ということができるのです。 ところが、そこには条件があるというのです。10分の1にしかならないので、残り10分の9は、謙遜だとか、背後に何かをして債権者を感動させる立場に立たなければいけないのです。そうでなければ、蕩減が成立しないということです。」


(10)「文鮮明先生御言選集」16万日本女性幹部特別修練会/韓国中央修練院 1994.11.20

 「『蕩減』という言葉は、負債を多く負った人が、何というか、独りで生きる善良な寡婦が、夫婦で幸せに暮らす時に、夫が借金をしてその借金を返すべき立場にいるのに、子供たちを連れて暮らしながら、周りのすべての人が多く同情するのです。そうして、その噂が債権者にも聞こえて、債権者が、そのように同情する心に感動して、『周りのすべての人々が願うとおりに自分も拍子を合わせてあげなければ』といって、多くのお金、10億なら10億を借りていたら、1千万ウォン、あるいは1億くらいの小さなお金をもらって、その債券証書をすべて破いてしまって、返したという立場に立つようになる時、『蕩減された』というのです。小さな条件的お金をもって、その多くのお金を支払ったこととして扱うようになる時、そのお金を蕩減基金、蕩減条件金だといいます。 蕩減という言葉を中心としてみる時、もしも、その婦人が預金通帳に何十億というお金があるにもかかわらず、同情を受けることを願ってそうしたということが明らかになる時には、蕩減条件が多くなるのです。蕩減条件を受けておいて、そこに赦し得ないすべての罪状が現れるようになる時には、何十倍、元金に利子まで加えて返してあげなければならないというのです。このような時はもっと多くの蕩減条件が必要だというのです。」

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